ドン・キホーテのワイン(後編)

ちょっといい話

■ 誰もが知っているのに、誰もが読んでいない「ドン・キホーテ」

セルバンテスによる「ドン・キホーテ」は聖書に次ぐ世界的なベストセラーと言われるが、私の周りに通読したという人は少ない。識者によると、この本が生まれた背景となる騎士道小説を読んでいないと本当の面白さが解らないのでは?とも。私の場合、当時の時代背景や生活が見え、とりわけサンチョ・パンサの飲み食いに関する言動に惹かれて読み通すことが出来た。
ガスパチョ_gazpacho当時の庶民を象徴するようなサンチョの言葉には興味を惹かれる。前回述べたワインのウンチクや「ガスパチョを腹いっぱい飲みてぇ」というセリフ。これはガスパチョ・アンダルースではなくガスパチョ・マンチェゴ3 を意味していたと思われ、両者は全く違う料理だ。
結婚してエスキビアスに新居を構えたセルバンテスだが、それは新妻カタリーナの親戚アロンソ・キハダ・デ・サラザールの家だったもので、カタリーナの持参金の一部として与えられたものらしく、小さなブドウ畑があり、モスカテル4 という品種のブドウを栽培しフルボディのワインがつくられていたという。因みにドン・キホーテの本名はアロンソ・キハーノである。
ドン・キホーテ 風車脱線で恐縮だが、「ドン・キホーテ」の前篇と後篇の間に「贋作ドン・キホーテ」が出版された。その中でアベリャネーダ(Avellaneda)なる贋作の作者は、従士サンチョの給金や旅籠代など旅の費用捻出のため、ドン・キホーテは3度目の旅に際し土地2か所とブドウ畑を売り払った、と述べている。セルバンテスの生涯や「ドン・キホーテ」の旅を辿るうちに、私の中では作者と主人公が混同したがそれも楽しかった

■ うち捨てられたティナハ(アンフォラ)並木

ところで、セルバンテスの家で見た数々のティナハ(Tinaja)だが、その巨大なものを見たのはラ・マンチャの旅の途上のこと、高速道路A-4からバルデペーニャスの市街に向かう道(ビノ通り)の両側がティナハの並木(?)になっていたのだ。ティナハ_tinaja
思えば、あちこちで捨てられたティナハを見て、これは既に時代遅れで過去の遺物なんだろうと推測していたが、「ドン・キホーテ」刊行400年を迎えた2005年に改めて訪ねたラ・マンチャの旅で、様々に活用されている多くのティナハに出会うことになった。
ティハナとは素焼きの容器の総称でアンフォラとして広く知られているが、紀元前15世紀ごろからワインやオリーブ・オイルなどの運搬・保存手段として用いられていたと言われ、メキシコのアカプルコにあるサンディエゴ要塞に復元された交易船の船倉にもあった。ワイン発祥の地ジョージアでは「クヴェヴリ(qvevri)」と呼ばれ、紀元前6千年頃からワインの醸造に使われたと言われ、土中に埋めることで低温に保たれ発酵と熟成がゆっくりと進行するという長所はあったが、効率が悪く、次第に使われなくなったというのが実情のようだった。
ティナハ_tinajaしかし、素焼きのため気密性が低く木樽同様にワインに微量の酸素を供給し、卵型をしているため自然に対流が起こるといった特徴に加え木樽に比べ容器から受ける影響がなくブドウの品種の個性が維持されることなどが見直され、積極的に活用する醸造家たちが登場した。なお、この「クヴェヴリ醸造法」は2013年にユネスコの「無形文化遺産」に登録されている。

■ ラテン語で「未来」を意味する「ウルテリオール」

ラ・マンチャのシウダー・レアル県トメジョーソで、新たなプロジェクトのもと「ウルテリオール」を送り出している醸造家エリアス・ロペス・モンテロもその一人だ。
ウルテリオール_ulterior彼は、英国のワイン専門誌「Decanter デカンタール」で、スペインワインの風景を変える10人のワイン醸造家の一人として選ばれているほか、その卓越した醸造哲学で、2021年には「Respect by Gaggenau(ガゲナウ)」というヨーロッパのガストロノミー、クラフトマン、ワイン醸造分野における称賛すべき職人3名の中の一人としての栄誉も与えられている。そんな彼が、畑にこだわり、品種にこだわって世に出したワインで、それはそれは旨い。赤、白に加え今度はオレンジワインを作ったらしい、一度飲んでみたいものだ。
ドン・キホーテ_DonQuijoteエリアスはティント・ベラスコにはガスパチョ・マンチェゴがあうと言っていたが、もしサンチョ・パンサが21世紀に登場したなら、こう言ったかもしれない「・・・あんたが最も愛しているものにかけて答えてもらいたいんだが、この酒はシウダー・レアルじゃなかろうか?それもウルテリオール!」と。

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  1. ガスパチョ(gazpacho):アンダルシア地方の郷土料理で、トマトを主体に作られる冷製の野菜スープ。ラ・マンチャ地方では肉、野菜たっぷりで、スープでなく具沢山料理に分類されている
  2. モスカテル(moscatel):糖度が高く、甘い香りに特徴がある白ブドウで、黒ブドウもある。フランスではミュスカ、ポルトガルではムスカテルと呼称が変わる。英語読みはマスカット
  3. ガスパチョ(gazpacho):アンダルシア地方の郷土料理で、トマトを主体に作られる冷製の野菜スープ。ラ・マンチャ地方では肉、野菜たっぷりで、スープでなく具沢山料理に分類されている
  4. モスカテル(moscatel):糖度が高く、甘い香りに特徴がある白ブドウで、黒ブドウもある。フランスではミュスカ、ポルトガルではムスカテルと呼称が変わる。英語読みはマスカット
菅原 千代志(すがわら・ちよし)

菅原 千代志(すがわら・ちよし)

1980年代からスペイン各地を取材、早くからガイドブック制作にも携わる。サン・フェルミン祭(牛追い祭り)も度々取材し、2020年には、毎年一人だけ選ばれる「外国人賞 Guiri del Ano 2020」を日本人で初めて受賞する。 『スペインは味な国』(共著、新潮社とんぼの本)、『スペイン 美・食の旅 バスク&ナバーラ』(共著、コロナ・ブックス )をはじめ著書も多数。近著に『アーミッシュへの旅』(ピラールプレス)がある。

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