ドン・キホーテのワイン(前編)

ちょっといい話

ジュリアン・ロドリゲスのデザインに基づきマヌエル・ゴンザレスによって1967年に制作されたドン・キホーテの像歌舞伎俳優の松本白鸚が市川染五郎当時から53年間演じ続けてきたミュージカル「ラ・マンチャの男」が今月(2022年2月)いっぱいの東京・日生劇場の公演でファイナルを迎えるという。
他の舞台と違い、歌って踊るミュージカルは79歳の身体にはかなり過酷なものらしい。
娘の松たか子が10年ぶりにヒロインとして共演する。

松本幸四郎の「見果てぬ夢」

「ラ・マンチャの男」は1969年の初演だが、翌年にはニューヨークのブロードウェイでの公演を行うなど、松本白鸚にとってのライフワークと言っていいだろう。松本幸四郎だった2005年に、カスティーヤ・ラ・マンチャ栄誉賞が贈られた。セルバンテス博物館1901年版「Don Quijote」「ドン・キホーテ」出版400年を迎えた年だった。世界で聖書に次ぐベストセラーと言われるが、通読したという身近な友人は意外に少ない。しかしその主な内容はほとんどの人が知っているという、不思議な物語である。
 いうまでもなく「ラ・マンチャの男」は「ドン・キホーテ」を下敷きに、作者セルバンテスも登場するデール・ワッサーマンの作品で、ほぼセルバンテス物語と言える内容だ。

波乱万丈!セルバンテスの生涯

 1547年にアルカラ・デ・エナレスで生まれたミゲル・デ・セルバンテス・サァベドラは、家庭の事情からバジャドリーを始め引越しを繰り返す。長じてトラブルから逃げてイタリアに赴き、軍人となりレパントの海戦で被弾、左手を負傷して不自由になるばかりか、帰途の船が海賊に襲われアルジェで5年に及ぶ捕虜生活を送るなど、波乱に富んだ生涯を送っている。エスキビアスの広場に置かれたセルバンテスの像
1580年に身代金と引き換えに釈放されてマドリッドに帰り文学活動を始め、ある婦人と一女をもうけるが、84年の秋、マドリッドの南西およそ30km、トレド(Toledo)やアランフェス(Aranjuez)に近いエスキビアス(Esquivias)を訪れ、名家の娘で18歳年下のカタリーナ・デ・パラシオを見初めて結婚。旺盛な執筆活動をしたと伝えられ、ここで「ドン・キホーテ」の着想を得たと言われている。
 小説「ドン・キホーテ」の中で、従者サンチョ・パンサとの丁々発止のやり取りはとても興味深い。ラ・マンチャの各地で見かける「ドン・キホーテ」にあやかった店とりわけ食いしん坊のサンチョの言葉は含蓄に富む。セルバンテスはサンチョに「・・・あんたが最も愛しているものにかけて答えてもらいたいんだが、この酒はシウダー・レアルじゃなかろうか?」と言わせ、「こりゃ、大した目利きだ!」と森の騎士に答えさせている(後編第13章)。で、サンチョは延々と利き酒自慢をする。一方、別の著作でセルバンテスは、エスキビアスは「美酒で名高い」と述べ「シュダードレアル(Ciudad Real)やサン・マルティン(San Martín)やリバーダビア(Ribadavia)のものに比肩する、あの音に聞こえたエスキビーヤスの銘酒・・・」(「犬の対話」会田由・訳 1960年)とも述べている。

エスキビアスのワインは王室御用達?

セルバンテス博物館の内部の一部。当時の様子が再現されている サン・マルティンとは、リオハあるいはマドリードのワインか?リバダビアはガリシアのリベイロを指しているのだろうか?残念だが浅学にして推測できない。さらに残念なことは、2度も訪れたエスキビアスで、そのワインを味わえなかったことだ。マドリードからレンタカーでの日帰り旅行だった。
 セルバンテス夫妻の住んだ家は現在博物館として公開されているが、中庭の一画にある入口は地下へと続いていた。地下セラーの入口に置かれたティナハ
「家はワインを保存する巨大なティナハなど、邸宅の隅々まで16世紀の人々の生活を想像させる。エスキビアスのワインは1530年の王政令により王室、貴族や、医師の処方箋を持つ病人や産婦の専用とされるなど、非常に有名になった」(エスキビアス市HPによる)という。蛇足ながら、セルバンテスの生きた時代はフェリペⅡ世の治世下である。当時、ワインは特定の病気に薬として処方されていたらしい。
 地下のトンネルには多数のティナハが並んでいたが、ラ・マンチャのワインにおけるティナハの存在意義について、残念なことに何も知らなかった。

<次回へ続く>

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菅原 千代志(すがわら・ちよし)

1980年代からスペイン各地を取材、早くからガイドブック制作にも携わる。サン・フェルミン祭(牛追い祭り)も度々取材し、2020年には、毎年一人だけ選ばれる「外国人賞 Guiri del Ano 2020」を日本人で初めて受賞する。 『スペインは味な国』(共著、新潮社とんぼの本)、『スペイン 美・食の旅 バスク&ナバーラ』(共著、コロナ・ブックス )をはじめ著書も多数。近著に『アーミッシュへの旅』(ピラールプレス)がある。

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