美食クラブの〝美食〟ってなんだ?

ちょっといい話

家庭で居場所のない男たちが仲間と集う

 広辞苑による「食いしん坊」の項には「意地ぎたなく何でも食べたがる人」とある。これはまるで私のことだ。
美食クラブさておき、コロナ禍で去年と今年は中止になったが、サンフェルミンの祭りが近づく頃、例年なら「今年のお祭りの食事会はXX日とoo日だよ」というメールが、パンプローナの友人アントニオから届いていた。いわゆる美食クラブへのお誘いである。スペインのバスク地方にはソシエダ・デ・ガストロノミア(チョコとも呼ばれる)が各地にあり「美食クラブ」と訳されている。形態は様々だが、男性会員だけによる〝美食〟の社交クラブであるという点がことさら強調され、日本でも注目されることになったようだ。しかし〝美食〟という言葉は「華美な食」を思わせ、食いしん坊の私は違和感を持ってしまうのだ。美食クラブ
 そんな美食クラブの起源は19世紀の後半。仲間と共に遠くまで漁に出、羊を追って山に登るバスクの男たちは長く家を留守にすることが多かった。帰っても家を護っていたお母さんの前では居場所がなく、仕事仲間と自慢の料理を囲んだのが始まりといわれる。「女性お断り」というのが何やら秘密めいて、さらに男の料理というのも興味をかきたてたようだが、当然、時代とともに変化し、女性や外部の人を招待できるクラブも多いようだ。

女性の参加を認めても、厨房だけは死守する男たち

 アントニオが所属する「ナパルディ」も、週末や祝祭日に女性や部外者の参加が認められているが、あくまで〝お客様〟で、私たちもサンフェルミンという祝祭には食事会に誘っていただけるわけだ。またお父さんが夫人や家族に料理をふるまう光景なども目にする。だが厨房だけは厳然と護られた男の世界なのである。
 ナパルディは旧市街の狭い通りにあり、地番以外何もない入口の大きな扉を開けると、壁の引出しの上に感謝状や楯が並ぶ小部屋と食卓が並んだ部屋がある。引出しには会員それぞれのエプロンなどが収められている。地下へ降りると古代ローマの遺構を改装したと思われる重厚な石造りのメイン・ダイニングルームがあり、150席ほどだろうか。ガラス張りにされた床の一画から下のワインセラーが見え、スモークガラスの壁で仕切られた〝女人禁制〟の厨房がある。
隣には大画面のTVが設置されたリビングがあり、裏口に続く通路の石壁にローマ時代の円柱が食い込んでいた。パンプローナはポンペイウスが築いた古代ローマ都市の上に出来た街なのだ。

美食とは、うまい物をしこたま飲んで食べること

 既にいくつかのグループが食事をしたり、食事を終えて歌をうたったりしている。美食クラブアントニオたちは食材の買い出しから戻っていなかったが、調理以外の準備や片付けの専任スタッフがいるので、テーブルはきれいにセットされていた。
仲間と食事を楽しみ、自分の料理を喜ぶ友だちに満足する男たち。それは全く気どりがなく、私がもつ〝美食〟の概念とはおよそ無縁の光景だった。貯蔵の利く食材や定番のワインは常備され、もちろんナバーラ産だが、料理や顔ぶれ次第でリオハやチャコリなども並び、夏などは「ティント・ベラーノ」用のガセオサ(ほんのり甘い炭酸水)も。費用は参加者全員が均等に支払う。しこたま飲んで食べて、一人12、13€程度。ナパルディと親交の深いクラブ「グレ・レク」もほとんど同じだった。美食クラブ
もう一度広辞苑。「美食」の項に「うまい物や贅沢なものを食べること・・・」とあった。なるほど、納得!
 ナパルディは1953年の創設で、慈善団体としての側面を持っていて「会員としての負担は決して小さくないが、得るものが大きいから苦にはならない」とアントニオは言う。
 来年こそ、彼からのメールが届くことを楽しみにしている。

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菅原 千代志(すがわら・ちよし)

1980年代からスペイン各地を取材、早くからガイドブック制作にも携わる。サン・フェルミン祭(牛追い祭り)も度々取材し、2020年には、毎年一人だけ選ばれる「外国人賞 Guiri del Ano 2020」を日本人で初めて受賞する。 『スペインは味な国』(共著、新潮社とんぼの本)、『スペイン 美・食の旅 バスク&ナバーラ』(共著、コロナ・ブックス )をはじめ著書も多数。近著に『アーミッシュへの旅』(ピラールプレス)がある。

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